歌は世につれ、世は歌につれ
今日は朝からspotifyで昨日作った懐かしいプレイリストを聴き始めていた。軽い気持ちでそれに身を委ねてあの時代に遡って行った。ちょうど「ひこうき雲」のあの子が空に憧れて空をかけて行くように。思わず聴き続けてしまい長くなった。次から次と間をおかずに流れ出すプレイリストにのめり込んで、もう今日はこれしかやらないで予定していた泉鏡花の「山海評判記」の読み取りをやめた。今日初めて気づいた歌詞の意味もあった。泉谷しげるの「春夏秋冬」の「今日ですべてが終わるさ、今日ですべてが変わる、今日ですべてがむくわれる、今日ですべてが始まるさ。」はあの当時の「革命前夜」を思わせるけれど、フロイト的には「死の欲動」を示していると。全共闘やフォークゲリラを担った若者の共通意識の深層に「死の欲動」があったのではないかと思い返された。今は完全に消滅してしまったロマンが時代環境に助けられて躍動していた。思いがけない発見は「赤い鳥」と「ちあきなおみ」だった。前者の「竹田の子守唄」は中世の山の衆へと遡る郷愁があり、後者の「黄昏のビギン」は昭和の愛をモダンに歌い上げた傑作だった。酔いしれて夢心地とはこれだと今日の怠惰を許すことにした。時代は復興しないものだろうか?資本主義経済は人の心を経済にする。人の心の効率や利益で恋愛を計ったらどうなるか。もう今の若者は恋愛をしなくなったと聞いたことがある。競争から落ちてしまうと思うのだろうか?山崎ハコや一青窈や夏川りみや元ちとせや森山愛子の歌を聴いていると、彼女たちの魂とからだから出る声が深くて広い包容力となって迫ってくる。女性という人間の生の素晴らしさにうたれる思いがする。今の女性は男を撃っているだろうか?それがないとしたら、男も女もより厳しい道を歩んでいるのかもしれない。
・泉谷しげる ♪春夏秋冬
竹田の子守唄 ♪赤い鳥
・♪黄昏のビギンーちあきなおみ
・一青窈 ♪糸
・山崎ハコ ♪ざんげの値打ちもない
・夏川りみ:♪童神~ヤマトグチ~
・♪イムジン河 森山愛子
・元ちとせ ♪「死んだ女の子」
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