承認欲求は袖振り合うも他生の縁で

今日で生まれてから71年と28日目を生きた。まだ身体と脳は老いを感じていない。平凡そのものに生きてきて別に後悔もなく、縛られることなく自由に健康に暮らしている。自分の生き方に注意してはきたかもしれない。自堕落にならない程度に禁欲的で、好きなことに過度に熱中して突き進まず、妻の意見を参考にして生きてきた。定年後は妻との生活を第一に考えている。人生は自分と人の関係で出来ている。自分中心で関係を作ればいいが、自分も関係の中に平等に入れている。いつも相手を上に見ているので、歳は自分の方が若いと錯覚しているような気がする。

今が一番いいのは、もう何かになろうとする必要がない、ということだろうと思う。誰かに認めてもらう必要はなく、認めさせることが要らないのは何と気分がいいことだろうか。今日、このAmeba Owndの他にnoteとFace Bookをやっていたのを辞めた。辞めただけじゃなく削除した。これまでどうして続けていたのか、同じような記事を3カ所に出していた。やはり承認欲求だと思う。その承認欲求を捨ててしまえばいいだけの事だった。承認欲求はネットではなくリアルで、自分の周りで関係を作っていけばいいのだ。隣人を大切にするということをまじめに実行していれば良かったのだ。

隣人愛は仏教にもある。「袖振り合うも他生の縁」という言葉だ。承認欲求はそれで満たされるはずだ。ぼくも含めて今の人は昔からの知恵の多くを忘れていると思う。何でも新しいことに価値があるわけではない。何でも便利になればいいという訳でもない。ぼくにとってはAmeba Ownd一つでちょうど良かったのだ。

定年退職者のそれから

良くも悪くも38年間サラリーマン生活を続け、定年退職して早10年。自分の過去から積み上げられたキャリアの意味を見つめ、生かされた場所での人間的な着実な一歩を文章にしてみたいと思う。失敗から学ぶ。縁あって対面することになる隣人を大切にする。応答力を磨く。歴史に学びながら共に生きる。

0コメント

  • 1000 / 1000