時代小説を読み始める
なんとなくここでなら気ままに書き出すことができる。他のブログサイトでは身構えてしまう感じがする。今書こうとしていることは、時代小説の読書効果のようなことだ。
サラリーマンのころ1冊だけ試しに藤沢周平の「蝉しぐれ」を読んだことがある。まあまあ読後感はよかった。侍庶民の情緒を感じ取ることができた。しかし続けて読まなかったのはその頃求めていたことと上手く合わなかったからだろう。ぼくにとって新鮮な驚きがなかったからだろう。意外なところに惹かれる性格なので、予想通りの結果が来てしまうと、それはそうだろうなで終わってしまう。
今年に入って読んだ「光秀の定理」は藤沢周平ほど文学的な香りはないものの、若手の垣根涼介の時代小説としての独自性が感じられた。光秀の生きた時代が生き生きと蘇るのである。室町後期の混沌の雰囲気に興味が開かれて、その時代小説が読みたくなるのだった。 さてそこでぼくの開かれた時代小説好みについて書かなければならない。
秋山駿は日本の精神として、歌のこころを女こころとすると、剣のこころを男こころとして分析していた。平安貴族の和歌の文化に対して室町以降の武士の文化が日本人の深層に沈殿している、と考えると日本人がよく分かるような気がする。秋山駿が時代小説を礼賛するのは、武士の剣のこころがよく描かれているかららしい。ぼくもようやくそれに目覚めたのかもしれない。
0コメント