connect inside the past and join to the world

時に流されまいと抵抗してはいても、もう71歳にもなって流石に過去の歴史に惹かれるようになったきっかけは、源氏物語が気になり出したことだった。千年も前に長編小説が書かれた事実に興味を抱かざるを得ないほどに、ぼくも文芸愛好家の一人だった。 


若い頃にドストエフスキーやトルストイやロマンロランの長編小説にどっぷり浸かった経験があるけれど、今にして思えば源氏物語は時代の思想性などの違いを除けば作品の深い味わいや重層性において、近代小説に決して引けをとらないか逆に凌駕さえしていると感じる。 世界文学からしたら遙か東洋の中世以前の宮廷物語という位置付けになるのかもしれないが、心の機微というか動かし難い命運を生きる文学的達成はぼくには想像以上だった。


さて、想像以上の世界が過去の歴史にはあったということに気付かされてみると、現状を変革しようとする態度が薄っぺらく感じ、これまでの自分も若く幼いように感じられる。それは歳をとって大人になったとするには、これまた遅すぎるのではあるまいか。とにかくにわか保守となった気分だ。 この精神的な回転を言い表してみると標題のような英語になる。日本語で言えば「つながる」体験が現在ではなく過去において行われた、ということだ。その感覚はこれまでずっと抗っていた世界との融和をもたらし、一挙に自分を満たしてくれた。これは不可逆的進行なのだろうか? そうだとしたらそれに気づいたことで、再逆転も可なり、と思える。

定年退職者のそれから

良くも悪くも38年間サラリーマン生活を続け、定年退職して早10年。自分の過去から積み上げられたキャリアの意味を見つめ、生かされた場所での人間的な着実な一歩を文章にしてみたいと思う。失敗から学ぶ。縁あって対面することになる隣人を大切にする。応答力を磨く。歴史に学びながら共に生きる。

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