サルトル「悪魔と神」を読む

友人と二人で5回目になる読書会を喫茶「ローレンス」でやった。選んだ本はこれまで「星の王子さま」「デミアン」「日常生活の冒険」「テンペスト」と続き、今回は「悪魔と神」である。「テンペスト」で初めて戯曲を読み、観客と共有する舞台で演じられることを前提とした文学の味わいを体験して、それならドイツ農民戦争という歴史から材をとった戯曲とはどんなものになるのだろうという興味から、この作品を取り上げることにした。

何よりもサルトル自身が最も愛着のある戯曲であると言っているのだから、少々の長さにも耐えて2回読むことにしたのだった。2回読むことで初めてサルトルに近づけた。登場人物に感情移入できるようになるには2回読まなければならなかった。

世界史の授業で16世紀ドイツのルターの宗教改革は習っても、ドイツ農民戦争なんて習ったのかさえほとんど記憶に残っていない。農民が武装して戦い、最終的には10万人の農民が殺されているのだから、百姓一揆しか知らない日本の歴史とは全然規模が違いすぎる。(この時は百姓一揆のこともよく知らなかったことが加賀一向宗の百姓一揆の時代小説を読んで分かった。)


主人公のゲッツは傭兵隊長であり戦争のプロとして後世に名を残すほどの人物なのであるが、その人物がわざと賭けに負けて農民側につくのだ。他にもナスチというパン屋上がりの指導者や敢えて貧乏人と暮らす僧侶も登場して、キリスト教徒として神と対決する思想的な戦いでもあったのだった。

ゲッツが占領した領土は農民に与えて一時は「太陽の国」というユートピアをもたらすのだが、無抵抗主義をとった絶対平和主義が周辺の農民蜂起を呼び寄せてしまい「善」は「悪」に汚されてしまう。再びゲッツは悪魔となって戦争のプロに戻り劇は終わる。どれだけ史実に近いのかよく分からないが、歴史的必然というリアリズムを感じさせる重い演劇だった。NHKの大河ドラマのように大衆的に脚色されていないのはもちろんなのだが、現代を生きる我々にもつながりを感じさせるものがあって昔話に終わらないのが芸術性なのかと思われた。

定年退職者のそれから

良くも悪くも38年間サラリーマン生活を続け、定年退職して早10年。自分の過去から積み上げられたキャリアの意味を見つめ、生かされた場所での人間的な着実な一歩を文章にしてみたいと思う。失敗から学ぶ。縁あって対面することになる隣人を大切にする。応答力を磨く。歴史に学びながら共に生きる。

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