1968年は中学生だった

1968年を特別の年とする人たちがいる。世界同時的に反乱が起きたことが世界史的にもユニークだったとする見方がある。その反乱の多くはテレビを通じて目撃されていて、私も何か躍動するものに惹かれるそのころの自分を知っている。だが、その歴史的動乱の渦中にはもちろん居なく、実際の私は全く無関係に暮らしていた。以下、私の1968年を振り返って書き出してみる。

自我が芽生える頃がほとんど中学の頃と重なるように思えるのは、多分中学に入って環境が変わり、小学校の時とは全く違うタイプの同級生との接触が自分に向き合うきっかけを作るからだと思う。小学校の同級生は同じような仲間だったのに、中学では日常的に違いに気づかされたり、場合によっては圧倒されたりする。

ぼくの時代の中学にはいわゆるガキ大将がいた。ケンカに強く大柄であったり、体格は普通でも骨っぽくガッチリしていた。ぼくは小学校では女の子と自然に溶け合って遊ぶような優しい男子だったが、どういうわけか彼らのような不良男子に親近感を覚えた。幾分虚勢も張っていたと思う。今から思うと、強いものにすり寄っていたのかもしれない。「デミアン」に出てくる、年上の不良に盗みを強要させられるようなことまでは流石になかったが、同級生には家がヤクザ関係者だったり、ケンカがあると呼ばれて出て行くような舎弟まがいの少年もいた。

いわゆる施設から来た野生の少年もいて、ぼくはどうしてなのかわからないが、その施設に遊びに行ったような記憶がある。強い者に取り入ろうとするばかりではなく、ひどく変わった所をもつ者に魅かれる性格がぼくにあったものと思われる。でもそういう少し危険な同級生や同窓生に近づくことはあっても友達にはならなかった。

彼らの方もぼくのような「堅気」の少年には違和感があったのだろう。ただ親が学校の先生をしている不良の一人とは仲が良くなった。ケンカに出かけてはいくが、ウケ狙いをするオチャメなところもあってそれがどことなく安心感を与えたのだろう。彼とはその後ぼくが結婚するまでは付き合いが細く続いていた。

定年退職者のそれから

良くも悪くも38年間サラリーマン生活を続け、定年退職して早10年。自分の過去から積み上げられたキャリアの意味を見つめ、生かされた場所での人間的な着実な一歩を文章にしてみたいと思う。失敗から学ぶ。縁あって対面することになる隣人を大切にする。応答力を磨く。歴史に学びながら共に生きる。

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